いちにち

わすれないように

12.01のこと

冬がいきなり本気を出してきた。

休憩中にあたたかいお茶を飲みながらこの前東京で買って帰ったAND THE FRIET チェダーチーズを食べる。アートディレクション平林奈緒美さんでとてもおしゃれでかつおいしい。

冬になると寒くてエネルギーを使うからか無性におなかが空くけれど、その割に痩せるふうでもない。

 

今日は仕事のあと、映画『母性』を見に行った。

CMのイメージのポップさとは違ってた。

よき母とは、よき娘とは、各々父親の影がほぼなくて母親(義母)と娘の話。

よくこんな毒親の元に育って子どもを慈しむようになれたな、と思った。

 

毒親から逃げ切れた人たちがその毒親を勝手に押し付けた人の子どもとしあわせになれたこと、押し付けられた人がある意味歪んでしあわせになれたこと、父親や息子の影が限りなく薄いこと、そんなふうな育て方をしたら娘はそうなるしか生きる術がないと思ってしまった。

そこそこ大きくなったら自分で生きることができるかもしれないけどあんな小学生前には無理だ。彼女の母親は最後は認められてしあわせだったと思うけれど、彼女は子どもができてしあわせになることを望みます。

母性は生まれつき持っているものではなく、成長の過程で身につけるもの。

彼女がいつか呪いを断ち切ることを望む。

 

あとは『ある男』が見たい。

これを見たら今年、個人的に確か15本目。見たいものをすべて見たい。

 

(追記)毒親の表現はよくなかった。あれは義母にとって出てこない祖父(父親)に報われなかったその思いが子どもへの自分の思ういい子であれ、という思いに繋がっていたんだと思う。娘はずっと手元に置いて生ぬるい位置に、息子は父親を思い出すから我関せず。その娘が逃げ出したのはとてもわかる。最後のシーンで義母の娘になった母は実の娘しか入ることを許さなかった実の娘の部屋が自分の部屋になる。父親はたぶんずっと母家で暮らせず、離れで競馬新聞を読んでいるんだろう。

「愛能う限り」、子どもを愛おしいと思う気持ち、永遠に娘でいたい人、そこから飛び出て母になる人、母性というのはやはり呪いだと思う。