たまたまTwitterやブログで文章の書き方や写真の撮り方が好きな人を見かけると、その人のすべてが見たくなりかなり昔の記事を遡って読むことがある、のは普通だと思っている。
Twitterで空気感が好きな人がいてその人のツイートを遡っていたら、「(その人が好きになった時の)嵐の時代・系統的に1番近さを感じるのはセクゾ」と呟いていて、なんとなくわかると思った。
ツリーでつながっていたnoteの記事も読んだが、確かにそうだった。
私も嵐ファンから降りたあと、もしジャニーズに戻ってくるなら、理由はわからないがSexy Zoneだろうと思っていた。
2002年頃の嵐は、日本横断自転車の旅を関東ローカルだけで放送していて夜の松茸の山に入ったり、確か京都かどこかのスナックでママと話しこんだり、少し前のTOKIO枠のようなことをしていた。
コンサートでもMCは内輪の話が多かったし、コンサート会場でかくれんぼをしたり、コンサートのパンフレットは音声が出たりシールを貼ったりと飛び道具なイロモノを出していた。
『H』や『Cut』もそういえば購入していたが、嵐ファン時代の最後はV6や関ジャニ∞のFCに入っていたが、彼らはあまり載っていた記憶がない(知らないだけで私の熱量が落ちていて気づいてなかったのかもしれない)
言われるとその頃に星野源にふれているし、今思うともっとふれていればSAKE ROCKにものめり込んでいたかもしれない。5人が出ていた映画『黄色い涙』の音楽はSAKE ROCKだった。
嵐のラジオの中でメンバーが選曲をするコーナーがあり櫻井翔が流していたのをきっかけにBONNIE PINKを聴いた。
あの頃の嵐は確かに、私にとってはカルチャーの交差点だった。
背伸びをしながら歌っていたこのアルバムが今でも好きだ。
そういうことを、写真家の石田真澄さんが今年のSexy Zoneのカレンダーとシングルのジャケットを撮影したのをInstagramのストーリーズを見ながら思い出した。